研 究 と 調 査

 イスマイル派教団の歴史は、正統イスラムの史書では意識的に抹殺されたが、その特異な宗教運動と暗殺手段とは強烈な印象を残し、後のイランのシーア派運動に深い影響を与えた。また十字軍戦士やマルコ=ポーロによって西方に伝えられ、「山の老人・城砦と楽園・若者と美女」の伝説が生れた。

 ヨーロッパの東洋学者の中には、assassin(暗殺者)とはイスマイル派教国の献身者のことであり、その原義はhashish(大麻)であるという考証をする者も現われた。さらにイントのボンベイで、アガーカン家はイスマイル派の直系の後裔であるという裁判があり、伝説の暗殺者教主の子孫が現存していることか明かにされた。早速、その本拠地を確めようとする者もあったが、アラムートの山城が確実に知られるようになったのは、1920年代末以後のことで、ローレンス=ロッカード、フレヤ=スタークはその位置を確認し、始めて山城の写真を学界に提供した。
1950年代以後、ピーター=ウイリー、ウラディミル=イワーノフ、マヌーチエフル=ソトーデの諸氏が、詳しい報告書を出し、アラムートとその周辺の山城群についての知識が一層確実となった。また、文献的研究では、マーシャル=ホジソン、バーナード=ルイス、リュドミラ・ストロエヴァ、ナディア・エブージャマル、シャフィーク・ヴィラニ、エナヤトッラー・メジーディーらの優れた研究がある。わが国でも思想史の分野では野元晋、菊池達也両氏の研究、岩村忍氏の概説書がある。

 また、イランでは2001-2007年にアラムート城の発掘調査が実施され、現場は屋根を掛けて保存されている。